ピアノ愛のこと
今まで各ブログで繰り返しプロフに書いていましたが、流れないサイトでピアノについて書いてみたいと思います。
ピアノは4歳ぐらいからはじめました。親に言われてのお稽古でした。それから大学一年ぐらいまで通っていました。先生は一度変わりました。引っ越しのためです。
はじめについた先生は大変厳しい先生でした。この先生には最初の時、小指が人よりも短いからプロのピアニストにはなれないとはっきり言われました。4歳ぐらいでしたから、それは傷ついたです。
二番目の先生はアメリカ帰りの海外在住者だった方で、この方に肩の力を抜いて弾くやり方を教わりました。それは中学ぐらいの時です。しかしやはり私にバッハインヴェンションをほぼ全曲弾くように指導されました。
今私は60代前後になってまたピアノを再開しています。それまで一時アニメの「風が強く吹いている」に影響されてウォーキングをしてみましたが 鵞足炎になり足を痛めてしまい 二度と運動はしないと思いました。もともと運動は苦手なのです。それで自宅でできる趣味で軽運動のピアノを再開してみようと思いました。
幸いなことに自宅近くにピアノ教室があり、先生もいい方なので、二年ほど続けています。昔ピアノビースの目録を見て、到底弾けないと思っていた曲を弾けるのが、とても楽しいです。しかしそうなるまでには二年ほどかかりました。
私は目がよくなくて、緑内障で視野が欠けている持病があります。もともと近視と乱視でしたが、老眼になり、見えにくくなりました。それでいつまで続けられるかと思うのですが、お絵描きと同じく続けられるところまでやってみたいと思いました。
そういう私とピアノの思い出の写真を、ここには展示したいと思います。
小さな頃
写真二枚しか手元にないのですが、小さい頃の私とピアノです。ヤマハのアップライトピアノを弾いていました。母方の祖母がお金を出して買ってくれたと母は言っておりますが、詳細は不明です。当時とても高価なものでした。そのため私も練習を怠けることは許されない家庭に育ちました。お稽古は週一回で、学校から帰宅後徒歩や自転車で通っていました。その甲斐あってか中学の時、朝の礼拝でオルガン演奏の代打を頼まれたことがあります。当時なんとか暗譜できていたヘンデルの「愉快な鍛冶屋」を弾いた覚えがあります。
メトードローズから
最初の先生はバイエルで教えず、メトードローズの教則本で教えました。見慣れない本であるのと、お稽古に通っている同級生たちの話題には上らない本ということで、私は少なからずつらい思いを当時しました。今でもこの本で教えられたことがプラスだったかどうか、私にはわかりません。
バッハインヴェンション
苦しくつらかったこの楽譜本。たくさんの先生の指導の跡があります。2声は全曲3声は3曲ほど残してやったと思います。私の中高時代の想い出です。最近新しい楽譜本で購入してみましたが、結局売りに出してしまいました。バッハはどうも好きになれないです。インヴェンション終了後はシューベルトの即興曲を練習しました。その曲は発表会で弾きました。大学受験の頃でした。
再開はロングアイから
今から4年ほど前にロングアイの電子ピアノをネットで購入しました。その前年にアップライトピアノは売りに出しました。音が出なくなっており、調律には二万円ほどかかると言われて断念しました。親はそれだけのお金を払っていたのだなあと思いました。このピアノは充電式で、当時ポップス系の曲を弾いて、弾き語りなどで遊んでいました。まだピアノ教室には通っていませんでした。
ヤマハP45で一年半
ピアノ教室に通うようになり、ロングアイでは心元なくなり、P45を中古で購入しました。ヘッドホン端子が背面についていて、非常に扱いにくかったです。しかしこのピアノはさすがヤマハで音色はよかったです。弾く曲もクラシックに移行していきました。最初お稽古にはラフマニノフを持っていったのですが、最近は社会情勢からショパンの曲にしています。しかしラフマニノフの手に入りやすい楽譜本はだいたいそろえたと思います。
新しいヤマハP225で
ピアノ教室で三連ペダルについて薦められ 録音機能もあるので思い切ってP225に変えました。これは新品で購入しました。セール品の白色です。現在使用中 鍵盤が重いですが このピアノで練習すると教室のグランドピアノを弾いた時重く感じません。そのためいいピアノだと思います。音色も自由に変えられてメトロノームもできるし言うことないですね。当分このピアノでがんばると思います。